大切な友人を自殺で亡くさないためには、ウザいくらい絡んだほうが良い
大学時代に親しくしていた友人が自殺したという知らせを聞き、ここ数日気が沈みっぱなしでした。
卒業後も数ヶ月に1回は飲むような仲だったのに、顔をあわせている時は思い詰めているようにはまったく見えなくて、気付いてあげられなかったことを後悔したりもしました。
どう頑張ろうがもう二度と彼には会えなくなってしまったわけですが、大切な友人を亡くすのは非常に辛いということ、そうならないようにこういうことをしておいた方がいい、ということを伝えたくてこの記事を書きました。
親しい友人を亡くすのは本当に辛い
その知らせを聞いた時、最初は信じられなくて、だけど伝えてくれた人の様子を見ると事実のようで、「そうなんだ……」と思いました。そっけないと思うかもしれないけれど、いきなり友人が自殺したと聞かされて、とっさにうまく言葉が出せるほど素直に受け止めることなんてできないんですよ。
その知らせを聞いてから、しばらくの間は「そうなんだ……」という言葉が頭のなかでぐるぐる回り続けていて、上の空の状態でした。
しばらくして落ち着いてきたら、彼と初めて会った時のこととか、いつもどんな話をしていたな、とか、そんな思い出を振り返りはじめて、そこでようやく泣きそうになるんですが、人前だったからボロボロ泣くのは嫌だなと思ってしまい、歯をくいしばって耐えてしまったんですよ。
そんな僕ですが、傍から見ても様子が変だったようで家族に心配されてしまい、事情を説明しようとしたのだけれど「(友人の名前)が自殺したんだって」という言葉がなかなか口に出せなかったんです。なんだかとにかく口にしたくない言葉でした。嫌で嫌で仕方なかったんだけどなんとかその言葉を絞り出したら、一緒に涙もボロボロでてしまって、やっと「ああ、死んじゃったんだな」と理解した感じがしました。
その後も、もう何をどう頑張っても永遠に会えないんだと思うと「なんだかなあ」と思ってしまったり、彼と一緒に写っている写真を見たらまた泣きそうになったり、夜寝ようとして目を閉じるとどうしても彼の自殺について考えてしまったりもしました。数週間前には、Facebookで彼からいいねが付いたりもしたんだけどなあ、本当にどうしてこうなっちゃったのかなあ。
友人関係というのは、生まれたときに既にあった関係ではなくて自分が作ってきた関係だから、それが途切れてもう絶対に元に戻らないっていうのは、本当に胸にぽっかり穴があいてしまったような感じです。
お互いが見ているものの共有を積極的に行っていこう
友人の自殺で悲しかったことはそれだけではなく、彼と親しかったはずの他の友人の中で、ひとりも彼が自殺してしまった理由を知っている人がいない、ということです。彼は誰にも相談しないでひとりで抱え込んでしまったんですね。
彼が相談してくれなくて残念、と僕らが思うのは多分間違っていて、追い詰められている人間には、目の前に見えているものだけが絶対になってしまっているのだと思いました。多分、そんな状態まで追いつめられてしまった人間に、相談してくれることを求めるのってすごく酷なんですよ。もし自分がひとつのものしか見えていない状態に陥ったとして、誰かに相談することを思いつくかというと、思いつかないような気がしますし。
本当は、大切な友人には自分からウザいくらいに絡んでいくべきだったんですよ。
どうして? って、追い詰められている人には相談するっていう選択肢が思いつかないんだから、こっちから声をかけていくしかないじゃないですか。
定期的に会うような関係だったとしても、人間は結局他人同士です。自分と似たような嗜好を持つ友人だとしても、自分とまったく同じものだけを見ているわけではないんです。その友人だけが見ている世界もあります。
そのお互いが見ているものの共有を積極的に行っていくべきでした。多分こっちから近況を聞くだけじゃ足りなくて、自分からも「こんな嫌なことがあったんだよ」みたいな愚痴も言ってあげた方がいいです。「この人も悩むんだな」と思ってもらえないと、相談しても理解してもらえないと思われてしまうかもしれないですからね。
終わりに
暗い話ですが、大切な友人を亡くすのは本当に辛いことなので、もしあなたのまわりに思い悩んでいる人がいるのであれば、「最近うまくいってる?」とかでもいいので、何かしらの声をかけてみてあげて下さい。
あなたが声をかけることで、誰かが救われることがあるかもしれません。